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広島高等裁判所松江支部 昭和53年(ネ)65号 判決 1979年5月25日

主文

一  一審被告の控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

一審原告の請求を棄却する。

二  一審原告の控訴を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも一審原告の負担とする。

事実

一  当事者の求める裁判

(一)  一審原告

「原判決を次のとおり変更する。一審被告は一審原告に対し金一八二三万八〇〇〇円及び内金一六六三万八〇〇〇円に対する昭和五二年二月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。一審被告の控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも一審被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言

(二)  一審被告

主文同旨の判決

二  当事者双方の主張及び証拠関係

次のとおり変更、付加するほか原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

(一)  原判決二枚目表七行目の「において、」の次に「乗用自動車を運転中、」を挿入し、一二行目の「右自動車」を「右後者の自動車」に改める。

(二)  同葉裏九行目から一〇行目にかけての「通院」を「入院」に改める。

(三)  同四枚目表四行目の「残したうえ」の次に「現在もなお一日おきに通院して注射、腰部の牽引等の治療を受けており、」を挿入する。

(四)  同葉裏八行目の「原告が本件事故により」から同五枚目表一行目の「否認する。」までを「一審原告が本件事故により腰部打撲、捻挫及び腰椎椎間板損傷の傷害を負つたことを否認する。同人の傷害は両膝部・右肘部・頭部打撲である。また一審原告が<1>ないし<5>のとおり入通院してその主張の治療費を要したことを認め、<6>及び<7>の通院、治療費は不知。なお、<3>以降の治療は本件事故と因果関係がない。」と改める。

(五)  同五枚目裏二行目の次の行に「同3(4)は不知。」を挿入する。

(六)  同六枚目表二行目の冒頭から五行目の末尾までを次のとおりに改める。

「2 損害の填補 一審被告は前記のとおり昭和四九年一二月二四日までに九三万四八二八円を、その後昭和五一年三月二九日までに七三万三一一〇円を一審原告に支払つた。」

(七)  当審における証拠関係を次のとおり付加する。〔証拠関係略〕

理由

一  事故の発生と一審被告の責任

一審原告が昭和四九年三月一七日島根県浜田市殿町八三番地先国道上において乗用自動車を運転中、一審被告運転の乗用自動車と衝突したこと及び一審被告が右後者の自動車を自己のため運行の用に供していたことは、当事者間に争いがない。

二  一審原告の傷害及び後遺症

(一)  一審原告が、右事故により左膝打撲の傷害を負つたこと及び同月一八日から同月二二日まで国立浜田病院に、同日から同年四月一一日まで中村整形外科医院にそれぞれ通院して治療を受けたこと、並びに右事故との因果関係は別として一審原告が同日から同年五月二八日まで水上整骨院に入院し、その後半田外科医院に同月二九日から同年六月一八日まで入院、同月二〇日から同年七月一四日まで通院、同月一五日から同年九月二八日まで入院して、それぞれ治療を受けたことは、当事者間に争いがない。

(二)  ところで、一審原告は、本件事故により左膝打撲のほかに腰部打撲及び捻挫、腰椎椎間板(以下単に「椎間板」という。)損傷の傷害を受けた旨及び同年九月二二日以降宮川整骨院に通院して治療したが、椎間板変性症及び左根性坐骨神経痛の後遺症があり、労働能力を三五パーセント喪失した旨主張するのに対し、一審被告は右事実を否認し、前記同年四月一一日以降の治療と本件事故との因果関係をも争うので、この点について検討する。

1  まず、本件事故の態様及び一審原告の症状の経過についてみるに、成立に争いのない甲第二ないし第四、第一四ないし第一六、第二六号証、乙第三号証、第四号証の一、二、第五ないし第七号証、第八号証の二、原審証人宮川嘉市、同水上肇、同半田貢雪・同中村博光・当審証人山根実の各証言、原審における一審原告本人尋問の結果(一部)、原審鑑定人山根実の鑑定結果によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 本件事故は、時速四〇キロメートル位で直進中の一審原告運転の軽四輪乗用車の前部右角に時速二〇キロメートル位で右折しようとした対向普通乗用車の前部が衝突して発生したものである。

(2) 一審原告は、昭和一一年三月九日生れの男子で、一五、六歳頃から船員として働いて来たものであるところ、本件事故の翌日である昭和四九年三月一八日に国立浜田病院で両膝部・右肘部・頭部打撲で安静加療約一週間を要するとの診断を受け、通院治療の結果疼痛も軽減したが、同月二二日中村整形外科医院に転医し、その際左膝部の痛みだけを訴え、入院を希望した。しかし中村医師は、左膝蓋部に圧痛があり、左膝を九〇度曲げると痛みがあるとの症状を認めたものの、局部に腫脹や水脹がなく、レントゲン検査の結果骨にも異常がなかつたことから入院の必要を認めず、左膝挫傷との病名のもとに通院治療を施した。一審原告は、同年四月一一日頃初めて腰痛を訴えたが、中村医師から「腰痛は外傷によるものではない。健康保険証を持参すれば診察してやろう。」と言われて、右同日に水上整骨院へ転医した。

(3) 水上肇は、整復師、鍼灸師、X線技師の資格を有する者であるが、同月一二日の初診に際し、一審原告からの腰部・臀部疼痛、屈伸時の左膝部疼痛の訴えや左側から車に当てられたので身体がねじれた旨の話、さらには歩行時の跛行、触診等を総合して、本件事故による腰部捻挫・打撲症・左膝部打撲症と診断し、他の病院で腰臀部のレントゲン検査を受けるように勧めたが、一審原告はこれに従わなかつた。そこで水上は、一審原告を入院させて温罨法、電気療法を施し、病状は総合的に軽快したが、同年五月二九日に、なお腰部・臀部・左膝部の鈍痛が去らず、検査の要ありとして、半田外科医院への転医を勧めた。

(4) 水上から「交通事故で腰を痛めて治療しているが、痛みが強いので診てほしい。」との連絡により一審原告を診療した半田貢雪医師は、「運転台の横から衝突されて左臀部・大腿部・膝関節部を打ち、身体がねじれて動けなかつた。歩行に際して左大腿より下腿屈側にかけて疼痛がある。」旨の一審原告の訴え、腰椎の骨折、分離症、辷り症はないが、第四、第五腰椎椎間板が狭小化し、左大腿部が萎縮し、根性坐骨神経痛の病状があることなどから、腰部打撲・捻挫、左膝打僕、椎間板損傷との診断を下して入院治療を施し、症状がやや軽快したので同年六月一八日に退院させたが、歩行時の左下肢の疼痛が著しく通院が困難であるとの訴えにより、同年七月一五日から同年九月二八日まで再び入院治療を施した。なお、半田医師は、同年七月二六日国立浜田病院の医師の来診を乞い、本格的な検査、加療を要するとの診断を得て、一審原告に対し右病院で検査を受けるように勧めたが、同人はこれに応じなかつた。

(5) 一審原告は、半田医院を二度目に退院した後も通院治療やマツサージを受けているが、昭和五二年一一月頃には第四、第五腰椎椎間板狭小を基盤として発症した椎間板ヘルニア及びこれに基因する左根性坐骨神経痛があり、腰椎の運動制限、左大腿筋萎縮、軽度の跛行、体位変換困難性、左下肢の放散痛・しびれ等の症状を呈し、服することのできる労務が相当な程度に制限される状態にあり、現在もこの症状は続いている。

以上の事実が認められ、原審における一審原告本人の供述中右認定に反する部分はたやすく措信しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右の事実によれば、一審原告が本件事故によつて両膝部・右肘部・頭部打撲の傷害を負つたこと、右膝部・右肘部・頭部打撲による傷害は国立浜田病院での治療で治癒したこと、中村医院における治療の末期である昭和四九年四月一一日頃から椎間板ヘルニアに基因する腰部・臀部疼痛等の症状が出現、悪化して、これが主要な症状となり、かつ、治療目的となつたことを認めることができ、左膝部打撲自体による症状は、中村医院から水上整骨院へ転医して間もなく消失したものと推認することができる。

2  そこで、椎間板ヘルニアと本件事故との因果関係について考察するに、原本の存在及びその成立に争いのない乙第二〇、第二二号証の各一ないし三、第二一、第二三号証の各一ないし四並びに原審証人中村博光・当審証人山根実の各証言によれば、椎間板の狭小化は一回的外力で生じないとはいえないが、椎間板の老化によつて生ずるのが通常であり、右の老化は長期にわたる過重負荷など椎間板に対する慢性的な力学的作用によつて促進されること、椎間板ヘルニアは椎間板の変性を基盤とし外力を誘因として発症するが、重量物を持ち上げる、急に腰を捻る、あるいは単に腰椎を前屈させるという動作だけでも十分な誘因となり、椎間板老化の進展と労働量の相対的な関係から、働き盛りの青壮年期の男子に最も多発すること、一回的外力により椎間板に損傷を生じた場合にはその瞬間から激痛を生ずるが、椎間板変性を基盤とし外力を誘因として生ずる椎間板ヘルニアの場合には、必ずしも外力の直後に腰痛を生ずるとは限らないけれども、一週間以上も経つてから腰痛を生ずるようなことは通常考え難いことが認められる。

右の事実に前記2に認定した事実を総合すると、一審原告が本件事故により椎間板に格別の損傷を負わなかつたことは明らかで(右認定に反する原審証人半田貢雪の供述部分は措信できない。)、一審原告の昭和四九年四月一一日頃以降に生じた症状は、椎間板の老化による狭小化を基盤とし外力が誘因となつて発生したものと認められるところ、その発症時期が本件事故から三週間位も後であることに照らし、未だこれが本件事故と因果関係を有するものということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

3  そうすると、本件事故により一審原告が被つた傷害は、両膝部・右肘部・頭部打撲であり、右傷害は遅くとも水上整骨院での治療を終えた昭和四九年五月二八日までには治癒したものと認められ、また、一審原告に右傷害の後遺症があるものと認めることはできない。

三  一審原告の損害とその填補

(一)  治療関係費

一審原告が被つた本件事故と因果関係のある前記傷害の治療等に要した費用は、当事者間に争いのない昭和四九年五月二八日までの治療費一五万五四三〇円及び交通費等九八二〇円の合計一六万五二五〇円を超えることはない。

(二)  逸失利益

原審証人吉田勝一の証言により真正に成立したと認める甲第一一号証によれば、一審原告は昭和四八年度に二〇一万三〇〇〇円の給与を得、昭和四九年度に完全就労すれば二三五万〇八〇〇円の給与を得られるはずであつたところ、本件事故後全く就労していないことが認められるが、前記の本件事故と因果関係のある治療期間中全く就労できなかつたものと認めても、その逸失利益は四六万三七一九円を超えることはない(なお、一審原告は後遺症による逸失利益を請求するが、前記の理由によりこれを認めることはできない。)。

(三)  慰謝料

一審原告の本件事故と因果関係のある前記傷害の部位、程度、治療状況等に照らすと、同人に対する慰謝料相当額が五〇万円を超えることはないものというべきである。

(四)  損害の填補

以上の一審原告の損害額の合計は一一二万八九六九円を超えないところ、一審被告が一審原告に対し合計一六六万七九三八円を支払つたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、内九三万四八二八円を本訴提起前の昭和四九年一二月二四日までに、内七三万三一一〇円を昭和五一年三月二九日までにそれぞれ支払つたことが認められる。

右の事実によれば、一審原告の本訴提起前における未填補損害額は一九万四一四一円を超えないので、本件事案の内容、訴訟経過等に照らして、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用を三万円と認めても、前記支払により遅延損害金を含めてすべて填補ずみであることが明らかである。

四  結論

以上の次第であるので、一審原告の本訴請求は失当でありこれを棄却すべきであるから、これを一部認容した原判決を一審被告の控訴に基づいて右のように変更し、一審原告の控訴は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤原吉備彦 関川鉄郎 瀬戸正義)

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